しょせん枠内でウダウダしてるだけ。

子供の未来は無限大。人の可能性は無限大。人の想像力は無限大。
やる気のないヒットソングではごくありふれたフレーズだけど、この手の話はあくまで絵空事であることは証明されてる。簡単な証明方法としては「頭の中で1オクターブずつ音程を上げていって、それ以上が想像できなくなったところがその人の音階の限界」。なんてハナシがある。
当たり前っちゃ当たり前のことなのだけど、案外それができていないことがある。上の例なんかはわかりやすいけど、気が付かない代表例が「構造主義」。僕の定義が合ってるかは曖昧だけど、「自分が生まれた環境と時代で人格は決められてしまう」。運命なんて言葉と同じような意味で捉えてる。僕なりの解釈だから、「それは厳密には違う」なんていわれたらそれまでだけど、当たらずとも遠からずだと思う。
宗教でも似た感じの教えはけっこうあって、昔からずっと言わつづけていることなのだけど、これはこれで危険な考え方なんだよね。だって何にもがんばらなくて良いってことだもの。宗教はどこか諦めの思想があって「枯れた」イメージが多い。そこに心の平穏を求めるのは、方法論としては効率的なんだけど少なくとも今世の中で大ブームであるところの「資本主義教」とは相反する思想だ。そういう意味では資本主義教についてゆけない信者が対極にあるようなカルト宗教にハマる理由もわかる。
個人的には資本主義教だろうがカルトだろうが、「本気でだましてくれるもの」が何よりも正しいものなのだと思う。もちろん賞味期限があってもいけない。死ぬまで本気でだましてくれるもの以上の正しさなんて人には見つけれられっこないのだと思う。

というわけで、トリックアート。人が見るものなんて、こんなものだろう。ただの記号でしかないものに理由をつける。理由をつけるのは人の構造として仕方がない。ただの1枚の図形も動いて見える。動いてなんかいやしないのに。
トリックアートで1本書こうと思ったら、何かヘンな感じになったなー。まあいいや。