あやかしびとにおもうこと

arfy2006-08-25

読書は想像のメディアだろう。単語の集合体にすぎないそれに怒り笑い涙を流すことができるのは、過去の経験としてそれを知っているから。どんなに高いクオリティの映像を作り出しても、人の想像力には及ばないといわれることがある。でも、果たしてそれがすべてに当てはまるだろうか?
読書の対極にあるメディアは映画だろう(字幕のものはまた少し赴きが変わってしまうけれど)。映像、音声、効果音。人へ訴えかけられるすべてを駆使して、虚構の世界に没頭させようとする。そう、映画には映画の、読書には読書の魅力がある。それらを同系列に語ること自体が意味のないもののように僕は思う。
サウンドノベルの走りは「弟切草」だろう。ビジュアルノベルはそこから始まり「かまいたちの夜」を経て、現在のエロゲー文化へとつながっていく。(もっとも弟切草かまいたちの夜は人物がシルエットだったので、より小説に近い体裁ではあったけれど)。ここで問いたい。何故エロゲーなのか?もっと言えば、何故エロゲーだけなのか?小説と映画の中間に存在するメディアであるビジュアルノベル。想像の余地と映像の魅力の良い所取りであるメディアが何故もっと流行ってくれないのだろうか?
エロゲーでそれが流行る理由は、コストと需要にあるのだと思う。なんせCGと文章と効果音さえあればゲームが1本作れてしまうのだから。贅沢して音声を乗せても、コストはそんなにかからない。にも関わらず「一定の」需要が確実に存在する。
昔、「街」というソフトがあった。俳優を使った実写で構成されたビジュアルノベルだ。これは、チュンソフトが「弟切草」「かまいたちの夜」についで作ったシリーズ3作目だ。僕は3本の中でも、「街」は屈指の名作だと思っている。映画でもない小説でもない新たな娯楽の出現だと思ったものだ。でも、実際にそれが定着することはなかった。売れ行きがイマイチだったらしい。オマケに制作費は映画並にかかるそうだ。「街」ほどのクオリティの作品をもってして成功とは程遠い結果しか残すことができなかった。それがすべてなのだろう。このメディアは、少なくともその段階では万人に受け入れられるものではなかった。
だから、僕がときどき、無償にその「新しいメディア」に触れようとする時にはエロゲーをやるくらいしか選択肢がないのである。まあ最近は「濡れ場があるビジュアルノベル」くらいのものが多く、クオリティも無駄に滅茶苦茶高かったりするので問題はないのだけど。そんな風に思いながら、あやかしびとを一気にクリアした。文句のない良作。キャラクターの立ち方が半端ではない。久々に「新しいメディア」でしか得られない感覚を得たな、と思う反面これが「新しいメディア」でなくなってくれることを切に望むのである。