日記はつけても読まない派。

自分マニアという言葉を作ったのはみうらじゅんでしょうか。定義は「自分で自分を楽しませることに努力を惜しまない人」らしい。ぐぐったら3件中2件が同じこと言ってるからきっと合ってるかと。
別に造語に定義もクソもないから、何でもいいけどこの言葉はなんか響きがスキ。その最たるものが日記ものらしい。
なんか、日記に感情を入れずに事実の羅列をするのが正式なやり方だそうで、何年か後に見直すと逆に感情が鮮明に蘇ってくるんだって。
このへん僕は完全デジタル人間だと思うけど、このやり方全然良いとは思えないんだよね。だって、「蘇る記憶」なんてよっぽど印象の強い感情だけだと思うもの。もちろん記憶を上手に取り出せる人もいるし、そうやって熟成させた感情の方が感慨深くなるというのもわかる。でも、それって「オリジナル」の感情じゃないんだよね。どっちかというと「自分リメイク」な感じがするのだ。ファミコン版のドラクエ3とスーファミでリメイクされたドラクエ3のどちらが面白いか?と言われたら断然スーファミ版と答えるのだけど、それは元のものとは全く別物なんだよね。記憶原理主義とも言えるかもしれない。
だから、僕はそりゃあもう残す。文章で。音源で。動画で。ありとあらゆるものを形にして残す。その日にダウンロードしたものまで日にちつけて残すし、記念品なんかもスキャンして残すほどの徹底ぶりだ。「ノスタルジーの比較」マニアな僕は、昔のものをできるだけ現物のまま残して、過去の「オリジナル」と「今」を比較して一人でざわざわする感じになるのが好きなのです。「なんであんなことしたんだろう?」なんてベッドの中でじたじたするのなんて最高の道楽だね。そういう意味では厳格な記憶原理主義とはいえないかもしれない。タリバンにはなれないらしい。
まあどう贔屓目に見ても気持ち悪いことこのうえない。なんでこんなこと書くかって?前回の文章が、まともな政治ネタで恥ずいから本来のフィールドであるところの電波文書かなくてはと思っただけさ。そのくせ、微妙な風刺ネタ入ってるあたりさらにみっともない。アフガン。アスラン。今週のアスランは萌えだった。エロゲの主人公だった。おっぱい。