昔の文章を読んでみた。

最近、更新頻度が戻ってきたちゆ12歳をだらだら読んだ。今回はバトルウォッチャー閉鎖ネタ。
http://tiyu.to/n0502_sp.html
この人のスタンスとか考え方はともかくとして、文章力はやはり圧倒的。かなりの長文だけど、一気に読めた。ただ、文章力が半端なく高いせいで変な偏見を植え付けられかねないので、注意しないと。ガンダムSEEDの回見ただけで、本編もちゆの内容だと思い込んで、ずっと見るの放棄してたから。
http://tiyu.to/n03.html#15_10_01
この記事読んだあとSEED本編見て思ったのは「嘘は一つもついてないけど、誇張と省略を恣意的に入れてるから全体がめちゃめちゃ捻じ曲げられてる」。タレントさんなんかが週刊誌に書かれるのと同じ構図だね。「確かに言ったけど、文脈とか雰囲気を無視して書いてる」みたいな。
ただ、週刊誌のインタビューと違ってネットは別のソース探してある程度裏を取ることはできる。ただ、それをやるかと言ったらまあほとんどの人はやんないね。めんどくさいもん。自分がいつも見てるサイトって「顔なじみ」な感じがして、いつの間にかそれが信頼に変わってしまう。ネットに顔なじみも何もないなんてことがいつのまにかわからなくなる。
ただ、それって本当に危険なことで、いつの間にかその人達の考え方が自分の考え方になっちゃう。
テレビとかみたいに大衆に流される情報を受けて、そのあとに身近で「頭の良い人」に意見を聞く。どうしても、マスメディアより身近な人の言葉のが信憑性が高いように思えてしまうもんだ。ラザースフェルドっておっさんはそれを「コミュニケーション2段の流れ」なんて言ったらしい。
この2段目にネットサイトが来てる気がする。ネットの立ち位置ってちょっとわからなくて、少なくとも「マスメディア」ではないし、「身近な頭の良い人」とも違う。僕個人の考えでは「ほぼ日」のキャッチコピーにもある「中くらいのメディア」なんだと思う。一方的な受け手にもなれるし、その気になれば参加することもできるからね。
ただ、参加する人ってそんなにいないよね。落とし穴はこの「その気になればいつでも参加できるんだ」というノリにある気がする。それがいつの間にか「自分の身近な人」みたいな錯角を抱かせる。
最近の代表例は「エログ」とかかな。あれって9割以上が業者なんだってね。でも、文章ではあたかも「素人」を装って見る人もそれに騙されてっていう。
身近な人は情報を恣意的に曲げたりしないから価値があるわけで、もって言えば身近な人はそんなことをする意味がないからそういうことをしない。でも、「ネットの人」はその発言に「意味がない」と言い切れる保障はないわけで。
このへんがもうちょい研究されてきたら、ますます「広告媒体としての個人サイト」「思想媒体としての個人サイト」はわんさか増えてくと思う。ますます「見抜く力」が必要になるわけだ。便利になるってことはめんどくさくなることなのかもしれないね。まあだらだらと流されてくのも一興だけど。
って最初書こうと思ったことと全然関係ないことまた書いてしまった…。文章の流れ、構成も無茶苦茶だし。まあいいや。ブログなんてしょせん「世界中に落とす落書き帳」だし。