パクリとパロディーとリスペクト

安倍なつみのパクリ騒動、思ったよりずっと深刻みたいすねえ。

個人的には、パクってまで作詞する必要性ってあったの?って感じがした。作詞印税って確か相当入ってくるけど、安倍クラスなら数千万は稼いでるんでしょ?ハタチそこそこの女の子としては日本でもトップテンには入るくらいの稼ぎ頭なハズ。自分で作詞する時間がなければ他人に書いてもらえばいい。もっと言えばゴーストライターだって使えるだろうし。

自分が表現したい形として作詞をやるならわかるんだけどねえ。飯田圭織みたいに、アート展やったりするのはそれを表現したいからやるのだとわかるんだけど。表現欲でも金でもないならどうにも動機がわからない。数千万で足りないっていうならそれこそ理解不能な世界だわ。

「ファンが望んでいるけど、時間があまりにも足りなくて出来心で」とかが一番あるかなという感じだけど、これも釈然としない。ファンのためとか子供の夢のためとかぬかす言葉ほど薄ら寒いものはないと個人的には思う。

回り道をしたけれど、本人のコメントで「ステキだと思ったものを書き溜めていて、それに手を加えて発表してしまった」とあるから、「他人のものに若干手を加えて発表したことで自分がそんな”ステキな”曲を書けた」と錯覚できるからやったというあたりかなあと僕は思った。

他人をけなすことでしか自分を見出せない人がいる。確かに他人や他人の作品をけなすことは手っ取り早く自分が優位に立ててるような感覚になれる。ただそれは錯覚にすぎない。一瞬は自分が高い場所に立ったような気になるけれど、自分の立ち位置は何にも変わっちゃいない。そもそも他人をけなすってことは逆をいえば他人にけなされることも認めることになる。他人をけなして、自分はけなされないように隙を作らないことに手一杯。ますますがんじがらめで身動きが取れなくなる。

安倍なつみがやったことの真意が僕の想像通りだとしたら、今挙げたような「けなす人」と全くおんなじなんだよなあ。それはとってもみっともない。