いつからおとな

昨日、人生初のテニス体験。公共運動場のようなところへ。都心に近いところに住んでいるのだけど、少し奥に入ればすぐに田舎だ。立派な建物と広い敷地の運動施設。金と土地なんて余ってるトコには余ってるもんだ。

こないだのマザー牧場と似たような状況で相変わらずファミリーが多い。家族連れファミリーを見ながら、ふと何となくお父さんの視点と子供の視点両方を見ながらぼーっと家族の団欒を見てた。やっぱりお父さんの視点の方が良く見えるようになってる。あーこりゃヤバいなあ。

劇画・オバQ」という漫画がある。オバケのQ太郎はおそらくほとんどの人が知っていると思うけど、実は作者の藤子・F・不二夫氏はその15年後くらいの話も短編として発表している。これはあんまり知られてない。

あらすじを書こうと思ったけど、うろ覚えで文章書くよりはキチンと書いてある文章をお借りした方が伝わりやすそうなので、こちらへ
http://www1.odn.ne.jp/cjt24200/yamada/text/q/

大人の基準はたくさんある。電車料金なら12歳で大人だし、アダルトビデオは18歳が基準だし、法律上の大人(行為能力を持つに至る)は20歳だし。年齢以外にも、社会で働くようになったら大人だとかとにかくいろいろな基準があって、明確な答えってのはないと思う。ただ、僕は高校生くらいの時にこれを読んだインパクトが強くて、「子供ができた時が子供じゃなくなる時だ」とかいう考え方になった。

逆言えば子供できるまではずっと子供なんだから、子供心を忘れずに生きるぜ!なんて豪語してたのに、なんかそれができなくなってきてる気がする。いや、いつまでも子供っぽいのが良いわけじゃなくて、それこそ「厨房!」なんていわれるようなことはすごくみっともないし、なるべくしないようにしなきゃとは思うんだけど、ちっちゃいころに考えてたこととかが全くわからなくなるのも同じくらいみっともない。

中学校1年のころ、文化行事なんてものが一年に一度あってその年は落語だった。今ならまだ楽しめるかもしれないけれど、小学校卒業したての中学生に古典落語はキツイ。何が楽しいのかちっともわからないもの。使ってる言葉もよくわからないし。先生が見張ってるので寝るわけにもいかないし、例えるなら拷問のようにつまらない時間だった。
そんな中、一人の落語家さんが、「ドラゴンボール漫談」をやっていた。「ジャンプは3週間くらい読まなくても話についていけるくらい展開遅い」「そもそもスーパーサイヤ人の整髪料はスゴすぎ」など今でも断片は思い出せる。けっこう歳もいってる人だったので完璧にドラゴンボールを知ってるというわけではなく、中学生の僕からすると「ん!?それはちょっとおかしくない?」と思うところもあったのだけど、それを差し引いても本当に面白いしゃべりだった。きっと中学生のための落語ということで子供に受けるような話を無理しながらも一生懸命用意してくれたんだと思う。

ちょっと考えれば古典落語が子供には理解不能なことくらい簡単に想像がつく。それでも古典芸能を伝えたいという考え方ももちろんわかる。でも、僕はやっぱり空気も読めずに古典落語しかやれないような人間よりは、古典落語もできるけど子供向けの漫談もできるような人間に魅力を感じるし、そうなんなきゃなあと思う。

そんなことをだらだら考えながら、仲睦まじい家族を眺めていた。お父さんであるとこのあのおっさんは何考えてたんだろうなー。