昨日の続き。

昨日、香田証生さんに関する文章を書いたのですが、予想以上の反響でびっくりしました。何せ知人以外からコメントもらったの初めてですから。ほとんど訪問者皆無のサイトですからね…。なにより、文章的にやや真面目な感じでエンターテイメント性はほぼ皆無の文章にこれだけのコメントが寄せられたということに驚きました。友人とはなかなかこういう話題は出にくいものですから。リアルよりもネットの方がこういう話題はしやすいのでしょうね。

というわけで一つずつコメントにレスをしつつ言い足りなかったことを書いていくことにします。

>LOWさん 動画を見ないという選択肢も僕は正しい選択の一つだと思います。たまたま僕の方法論では実際に見ることが現実に向き合うことになるという結論になっただけで、現実と向き合う方法は様々だと思います。実際精神的にかなり来ますからねえ…。心臓の弱い方とかは特に。大切なことは「思考を止めないこと」だと個人的には思ってます。
あと、「無菌室の中でさえも苦しんでいる人がいるのも変なものですね。」と発言されてますが個人的には無菌室だからこそ苦しむんじゃないかなあと思います。今の日本は「外で元気に遊ぶ庶民の子供達をお城の窓から眺めて、私も自由に外で遊びたい、泥だらけになりながら友達と笑い合いたい」なんて考えるお姫さまのような状態なのでしょう。さしずめイラクは「貧困と病気と殺人の蔓延するスラム街」といったところでしょうか。程度の差は当然ありますが、やはりどちらも不健全だと思います。

>kishinopolisさん 僕は葬式に参加した経験が一度だけあります。小学校低学年の時でしたから10年以上前の話ですが…。親戚の50歳くらいの女性だったと思います。死に化粧をしていてとても綺麗な死体でした。本当に眠っているようでした。死に化粧という文化一つ取ってもやはり死を綺麗なものにしようという文化が現れているような気がします。僕は身近な人の死にはまだ向き合ったことがないのでkishinopolisさんよりは想像で考えている部分が多いのでしょうけれど、それでも考えさせられる部分は多いです。

>euthaさん 「彼を馬鹿にできたのも彼がリアルだったから」というのは僕も同じ考えです。僕にとっての落とし穴は「リアルは死ぬわけがない」と思ってた点なんですね。外人は拘束されているのを見てもなんとなく「あー殺されるんだろうなー。」なんて見てるのに対して自分と同じような人が同じ目にあっていても「どうせ最後には助かるんだろ?」なんて無意識下では考えていたように思います。冷静に考えればそんな都合の良いわけがないんですけどね。死をどう捉えるかを個々で考える事が大切だというのは本当に同意です。そのために人の考え方を聞くのは本当に大切ですからね。今回初めてブログの特性が使えた気がしますw

>iwashinoshingoさん 僕も動画を見て少し人生観が変わった気がします。首を切られる瞬間、人から「モノ」になるんですよね。犯人の手口の鮮やかさがそれを際立たせていたような気がします。人の尊厳だとか脆さとか考えさせられました。

>petさん 年齢から感じた事、とった行動まで全く僕と全く同じですねw。petさんの文章から、その人柄の良さがひしひしと伝わってきますよ。僕も何の気なしに動画を見て精神的に少しヘコんでしまい、突発的に放置してあったブログに文章を書き起こすことで気持ちを紛らわすなんてことをしていたのですが、同じ瞬間同じ事を感じている人の温かい文章には元気付けられるものがありました。

最後に。一晩経って僕は動画をゴミ箱に入れて削除しておきました。「目を背けるな!」的な文章書いてるくせにとか言われてしまいそうですが、ネット上で半永久的に首が切断される瞬間が流れ続ける香田さんが不憫でね…。別に僕一人が削除したところでそれは絶対に変わらないのだけど、逆に言えばだからこそそうしなきゃなんないような気がしました。とりあえずお経のファイルも一緒に入れて削除。僕なりの弔いです。僕と同じことしようかなって思った人はこちらへどうぞ。
http://www.yushodo.com/omairi/download.html

現行法上、どんなに日本で酷いことをしても絞首刑にしかならないのに、好奇心に従ったためにこんな仕打ちに合うのはどこまでもやりきれないものがありますね…。