ブログは本来こういう使い方をするもんなんだろな

香田証生さんの殺害動画が公開されました。

当然ニュースサイトにその動画が載っているわけじゃないけど、少し検索ができる人ならすぐにそれを見ることができるでしょう。

僕は見ました。

いわゆるグロ画像ならいくつか見たことはあったし、社会科の授業で原爆写真とかも嫌というほど見せられているのでそれほど意識せず何となしにクリック。

何かね。今思うと、その行為自体が何か麻痺してる感じがするんだよね。

今まで見たグロ画像って、漫画や映画の残酷シーンと全く同じフィルターで見てたんだよね。

自分と歳が2つしか違わない人、おそらくだらだらと毎日を過ごしていた人。刺激が欲しいだとか、つまらない日常から抜け出したいとかそんな理由でイラクへと向かったのでしょう。
その気持ちもよくわかります。年、考え方、性別、体型、人種、国籍、ほとんど僕と変わらない人間です。

そう。圧倒的にリアルなんだよ。極端な話、少し何かの歯車が狂っていたら興味本位の代償として自分がその映像の中の主役になっていたかもしれない。

実はね、動画を見る前は「あー、アホなことやってんな。気持ちもわかるし、少し憧れるけど実際捕まっても自己責任だよなー。」なんて思ってました。実際、掲示板とかでも香田さんを茶化すような書き込みが大半。

動画を見た後、僕の考え方は180度変わりました。掲示板の空気にも似たようなものを感じました。きっと、それが平均的な日本人の感覚なのでしょう。

テレビゲームは現実と虚構の区別ができない子供を作るといいます。暴力シーンは子供を暴力的な性格にするといいます。アダルトビデオは性的な倒錯を生むといいます。

でもね、僕、わかりました。一番人を狂わせることは、「見せること」じゃなくて「見せないこと」です。

何故、香田さんを日本中で茶化すことができたか?それがリアルじゃないから。
「すいませんでした。また日本に帰りたいです。」頭つかまれてこんなこと言ってる若者を見たって失笑しか生まれない。そもそも人が殺されるってこと自体に全くリアリティがないから。前回の人質3人組の生還の印象も手伝っているのでしょうけれど。

日本は死に対してあまりにも無菌状態すぎるんだよね。別に殺伐としてろって言ってるわけじゃない。ただ、何事も極端な場所にいることは危険なことだってことを僕達は経験則として知っている。

日本人の死を美徳と捉える感性、大いに結構だと思います。ただ、イメージだけでそれを言っている人が恐らく大半でしょう。僕もその一人です。

今回の事件は一つのきっかけです。もうそろそろこの無菌状態から脱出しても良いのではないですか?
無菌室では確かに病気をしないかもしれないけれど、無菌室に永遠にいられる保障はどこにありますか?外に出られる体なのに無菌室で引きこもっているのは自然なことですか?
もちろんどちらを選ぶのも個人の自由というのは当たり前の前提なのでしょうけれど。

「現実と本気で向き合う」ことが仮想状態が大きな比重を占めるインターネット社会のキーワードになっていくような気がします。
もっともそれを気が付かせてくれたのもまたインターネットだというのはどこまでも皮肉な感じはしますが…。

彼の死から何かを学ぶことが弔いとなるとするならば、おそらく彼のような悲劇を繰り返さないことが最大の弔いなのだと僕ば思うのです。

日本人がもっと現実を直視できるくらい民度が成熟していたのなら。無菌状態の教育、報道でなければおそらく彼も軽い気持ちでイラクに赴くということはなかったでしょう。悲劇は起こらなかったでしょう。

首が切られる瞬間を見た今の僕ならこの言葉が言えます。
香田証生さんの冥福をお祈りいたします。」