格好良いとはどういうことだ!?(1)

農村において個人は無個性でなければならない。
都市において個人は個性的でなければならない。

社会学的にはこのように結論付けられているらしい。田舎であれば、周りが皆既に知り合いなのだから、無理矢理個性付けをする必要がない。都会だと、そもそも人がたくさんいるから人の選別が行われる。選ばれるためには他の人とは何か違うと思わせる個性が必要だからである。

乱暴に要約するとこんな感じ。個性ってのは何も面白いことを言うとか奇抜なファッションをしているとかそういうのだけじゃなくって、特別な知識やスキルを持っているようなことも当然含まれるそうだ。

僕が都会っ子だからかどうかはわからないけれど、最近特に世間と考え方がズレてきている。例えば世間は泣ける純愛ブームまっさかり。「冬のソナタ」とか「世界の中心で、愛をさけぶ」なんかをどうやってもまともに見れる気がしない。

流行りモノ=嫌悪の対象とする人は多い。そういう人は世間からズレているというよりは世間からズレていたい人だと思う。そういう人は世間とは真逆のベクトルを向くことができているのだから、ある意味では世間の流れに迎合しているとも言える。でも、僕は例えばハリーポッターなんかは大好きだからやっぱりこれにも当てはまらない気がする。

じゃあ流行りモノをとにかく追っかけまくってる人が「普通の人」なのかというとそれも違う気がする。それって言い換えれば自分を全く持ってない人っていうことで、少なくともそんな人は僕の見る限りでは明らかに少数派だと思う。

僕の中の結論としては「世間の流れに5〜7割くらい乗れる人」が普通の人なのかなあと思う。僕はおそらく2〜3割程度だろう。つまり僕と同じタイプの人が普通の人に合わせようと思ったら3〜4くらいは無理しなきゃなんない計算になる。逆に言えばその辺が落としどころなのかななんて気もする。6は無理でも4くらいなら何とかなるから。

流行りモノへの尺度は当然価値観にモロに影響してくる。ていうかむしろこっちのがはるかに深刻だ。そのへんを次回に。