聖山アトスに生きる(1)
最近は物事を二つに分けるのがちょいとしたブームになっているみたい。「人生の勝ち組負け組」とか、キムタクの「開いてる奴と閉じてる奴」とか。
もうこのへんの流れに対する、「あー実際そうだよね」という意見も「そんな単純なものでもないだろ」的意見も食傷気味なんだけど、ある意味今こういう考え方がクローズアップされるのはすごくわかる気がする。
世の中がどんどん難しくなってきてるってのがその理由だと思う。インターネットが加速度的に広がっていけば、手に入る情報もまた加速度的に増えていくわけで。ただ、人間の扱える情報なんてたかがしれてるからどうしても混乱が生じてしまう。
そんな中で「単純に物事を二つに分けたい」なんてのは当然現れる願望だと思う。自分にとって都合の良い考え方なんてのはどの時代でも受け入れられやすいものだと思う。貧しい時代において、毎日が苦しい日々の連続の中で急激に宗教が広がっていくのと現象的には全く変わらない。
そして自分達にとって気持ちのイイ考え方をしない、別の宗教と対立し戦争が始まる。このへんはもうお決まりパターンで、もういいかげんその王道パターン辞めてもいいんじゃないの?マンネリだよそれ。ってなもんである。
さてそんなこんなで、今回の読書。
http://esbooks.yahoo.co.jp/books/detail?accd=30941833
こんなことを書いておきながらあえて世の中を二つに分けるのならば、「世俗で生きている人と世俗の外で生きてる人」。世俗の外で生きるってのはある意味俗世界での死とそう変わらない気がする。そういう意味では生者と死者くらいの差があるのかもしれない。
さて、読んだ後にどんな感想を持つのか想像しつつ次回へ。