萌えの形(終)

「芸能人でいうと誰が好み?」

合コンとか歓迎会とかに行くと必ず出る質問だ。僕は基本的に空気に合わせようとする人間なので、普通っぽい答えを求められる場所なら伊東美咲とか長谷川京子と答えるし、ヲタっぽい回答を求められる時には松浦亜弥とか石川梨華とか答える。

逆に空気とかを考えなくて良い時。僕は相手を知るために「小倉優子」と答える。ちょっと世間の流れについていけてるか不安だけど、現在の不思議ちゃんキャラの代名詞だと思ってる。
「うわあ…、キモイ…」てなリアクションを取る人とは仲良くなれそうにない気がする。「あーわかるわかる!かわいいよねー。」これもあまり仲良くなれないような気がする。「人形さんみたいに可愛いよね。でも彼女も大変だよねえ。」このへんが一番僕とは感性が近いかなと思う。

不思議ちゃんと呼ばれる人を「純粋に可愛い」と思う人。「あんなのキャラ作ってるだけじゃん」と思う人。この二つが世間の大半だと思う。でも、僕は不思議ちゃんを見るたびになんだかとっても怖い気持ちになる。

るろうに剣心という漫画があった。そこに瀬田宗次郎というキャラクターがいた。彼を一言で解説すると、幼い時から両親がいなくて、とても意地の悪い一家に育てられ、何をやっても激怒され虐待を受ける。そんな環境の中で彼がたどり着いた自己防御策は「ただただニコニコしている」というものだった。殴っても蹴飛ばしてもニコニコしてるだけの彼に家族も最後はあきれ果ててしまって虐待を辞めるからだ。そんな環境で育っていくうちに、本当に辛い時・悲しい時にもニコニコ笑うことしかできなくなってしまった。すなわち喜怒哀楽のうち怒と哀の感情が欠落してしまったのだ。

不思議ちゃんと呼ばれる人を見ると、どうしてもこのエピソードが頭に浮かぶ。過去に何があっての現在(いま)なのか?どんな経験の延長に現在があるのか?

それでもテレビタレントならばまだ全然良い。何たってあれは「記号」なのだから。テレビはある意味記号でできている。デブタレントは僕達のステレオタイプ的「食いしん坊」を絶対に崩さないし、叶姉妹ステレオタイプの「ゴージャス」を絶対に崩さない。記号の集まりが一つの番組となるのだし、それはテレビに限らず世の中の全てが同じだと思う。万物は点の集まりだ。

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「AV女優」という本を立ち読みしたことがある。興味本位で手に取ったけど、少し読んですぐに後悔した。内容はAV女優さんたちの日常。そこに綴られる物語は、僕や僕の周りにいるような、本当どこにでもいるような人。ありふれた普通の女の子達の姿だ。

アダルトビデオの女優さんを僕は、世の中の男性は「記号」として見ていると思う。そこにいる人には当然その人の日常があって一生がある。わかっているのに、無意識のうちにそれをフィルターにかけて脳内で消去させている節がある。そして、それが人としての正しい感性だと思う。「知り合いをオカズにすると自己嫌悪に陥る」なんて言葉が最も顕著にそれを証明しているような気がする。

「萌え」は当然記号に対するものだ。だから安心して使える。記号に対しては僕らはいつでも無意識にフィルターをかけることができるから。だから言葉に嫌悪感を抱かなくて良いのだと思う。そんな所に臆面もなく「萌え〜」なんて言葉が使える理由があるんじゃないかなと思う。

「萌え」について書けと言われて書いたわりに、全然萌えテイストがない文章になってしまった…。