姥捨て山(3)

今、日本人に「現在最も人気のある女性アイドルと言えば?」と聞けばおそらく10人のうち8人は松浦亜弥と答えるだろう。それくらいに一人勝ちをしているし、逆に言えば他に時代の寵愛を受けられるだけの器がいないということだと思う。
では、この質問を幼稚園や小学校低学年の子供にした場合はどうなるだろうか?おそらく別の結果になると僕は思う。低年齢層の見る番組に松浦亜弥は登場しないからだ。おそらく、僕があまり知らない世間的にはマイナーな人が子供達には選ばれるのだと思う。

さて、僕が幼年時代を過ごしたのは80年代後半。まさにバブル絶頂、国猛る最盛期。不動産が金利を超えて高騰するなんていう今考えれば狂気以外の何者でもない時代だ。
この時代のアイドルを検索にかけてみたところ、斉藤由貴西田ひかるだそうだ。なるほど、僕も名前くらいは知ってる。

でもね、それは後になってから知った名前ばっかりなのであって当時は名前も知らなかった。僕にとってのアイドルはNHK教育のお料理番組「ひとりでできるもん」の舞ちゃん、そしてキョンシーズのテンテンなのである。

当時好きだったアイドルっていうのは、今とか中学生くらいのころに好きだったアイドルとは全く別の意味を持つ。今だったら、付き合いたいだとか自分の物になればいいのになあなんて妄想を心のどこかに抱きつつ見ている。でも、当時は人を好きになるっていう発想自体が存在しないのだ。それなのに好きなアイドルというものが確実に存在したことになる。

ここで不思議なのは当時の感情が全く思い出せないということ。「好き」を覚える前の感情って何だったんだろな。

ドラゴンボールを初めて読んだのは多分単行本だったと思う。僕が盲腸で2ヶ月ほど入院していた時に両親が「山下たろーくん」と一緒にドラゴンボールの単行本を買ってきた。(くしくもこれも幼稚園から小学校の間。入院してたせいで、小学校の入学式に出そびれたから間違いないはず。ここらへんのごたごたがなければまた別の人生があったのだろうけど、それはまた別のハナシ。)

他にやることもなかったから、何十回何百回とドラゴンボールを読んだ。(山下たろーくんは当時の僕にはよく内容が理解できなかったから、数回読んだだけだった)
その中で、僕の頭の中での「孫悟空の声」が確実に存在した。その後、アニメで野沢雅子孫悟空の声を聞いた時に感じた印象は、「こんなの孫悟空じゃない」。

慣れというものは本当に恐ろしいものだと思う。今、ドラゴンボールの単行本を読み返しても脳内で野沢雅子の声に変換して読んでいる自分がいる。野沢雅子の前に僕の脳内だけで活躍していた声優さんはもうこの世のどこにも存在しない。

そう。人は忘れる。もうどうしようもないくらいに忘れる。当時は本当に絶対的な存在だったはずのもの、気持ちもあっさりどこかへ飛んでいく。
この「忘れる」というところにノスタルジー、つまりは昔を愛おしく思う気持ちの正体みたいなものが隠れているような気がする。

話が広がってしまって、消化しきれるのか不安を感じつつ次回へ。