時をかける少女

arfy2006-08-13

ネットを見てると、なんか今上映中の時をかける少女がすごいらしい。何より、情報を聞く限り客筋が良さそうだ。久々に一人で映画でも見たい気分だったから調度いい。池袋のテアトルのナイターで見ることにした。
上映1時間前。先にチケットを買ってから晩飯でも食べよう。そう思って8Fに上がった。しかし、そこで告げられたのは「只今、列になっておりますのでお並び下さい」。おいおい、ちょっと待ってくれ。映画で並んだことなんて、高校生の時に見たエヴァンゲリオンの公開初日以来だぞ。おまけに、朝軽くパンをかじっただけでほとんど何も食べていない。とはいえ、立ち見とかはマジやってられないので並ぶことにした。幸い涼宮ハルヒで読んでない部分が少し残っていた。売店のお菓子を食べながら待つ。
開始の20分前。席が全て埋まった。開始直前。立ち見で溢れている。客筋は前評判通り、浮ついた感じの人間は少ない。それでこそ一人で来たかいがあったというものだ。緞帳が開く。物語が始まる。
話の筋は全く仕入れずに行ったけれど、とりあえず泣けるという感想が多く見られた。だから泣こうと思って行った。序盤、コミカルな感じで話が進んでいく。どうでもいいけど、映画でいかにも「ここで笑ってくれ」みたいなシーンで何故みんな声を出して笑うのか。マナーなのか?薄ら寒いギャグに対してのそれに怒りを覚えるのは俺だけだろうか?とはいえ、一般の人なら、こういう箇所で笑うのかという点は自宅で一人DVDではわからない。それは映画の醍醐味なのだろう。こう書いてると全然コミカル部分が楽しめなかったように見えるが、そうでもないお笑い用語で言うところの「天丼」(字は合ってるのだろうか?)部分はさすがに笑えた。来るぞ、来るぞほら来たぞ的な。
物語が終わる。結論として泣かなかったが、気分が久々に空っぽになった。映画の余韻が強すぎて何も考えたくない。こんな感覚もエヴァ以来だ。青春真っ盛りのテーマが、20代半ばの俺にはそう遠くない場所なのに決して届かない場所というリアルな喪失感を呼び起こす。素直になれなくて夏。子供のころに見る物語は、全て自分にとっての可能性だ。でも、大人になってのそれは違う。人生において、もう過ぎてしまったもの。そうだった可能性もあるけれど、自分はその可能性に乗ることが出来なかった物語がある。というか大半はそんなものだ。「time waits for noone」。劇中、象徴的に使われおそらく主題であろうその言葉が重たくのしかかる。
夢遊病のように街を闊歩する。その街は、学生時代歩き慣れた街。一つ一つの道、建物にすら思い出の残る街。そんな街から意識を現実に引き戻すには随分と時間が必要だった。