神のゲームを超えるには。

arfy2005-07-21

ファイアーエムブレム 蒼炎の軌跡、主人公もクラスチェンジして物語も佳境というところ。今回も相変わらず面白い。調子に乗って新作4本くらい同時進行で始めたのに、結局FEばっかりやってるというこの現状。中毒性の高さは相変わらず。
とはいえ、残念ながらまたも自分内ランキングでは聖戦の系譜を越すことはできなかった。蒼炎は聖戦以来の据え置き機種ということで期待していたのだけどなあ…。いや、面白いよ。面白いんだけどねえ。やっぱり、最初にやったFEが聖戦ってことが一番大きいんだろうなあ。
と懐古房もなっても仕方ないので今回良かったことを。まずはなんといってもグラフィック。3Dを違和感なしに持ち込んだのは見事。ドラクエの3D化は各地で絶賛されてるのに、それでも個人的には慣れない感じなのに、そんな僕でもFEの今回の3D化は手放しで喜べる。それくらい上手い。
あとは支援会話が戦闘準備画面でできるようになったこと。アイテムも使えるようになったし。これなんで今までやらなかったかなあ。難しいマップで死ぬたんびに「あー支援会話と天使の衣また使うのめんどくせー」とかやってたのが懐かしい。
ストーリーの軸は種族間対立とか差別のお話ですかね。SEEDも似たようなことやってるし、流行ですかねえ。民族対立って上手くやれば本当に神レベルのお話になるけど(exタクティクスオウガ)、失敗すると房丸出しなストーリーになるという諸刃の剣。今回のFEも勧善懲悪モノだから、神レベルとは行かないけどシンプルにまとまってる感じはする。
とまあ色々ありますが、ゲームキューブで買った中では文句なくベストソフト。次回作も楽しみに待ちつつ、残りのストーリーを堪能しましょう。噂によると、次回作を匂わせる終わり方らしいので。

ムダがムダに楽しい。

ゲーム熱が再燃している。バンピーはもちろんのこと、GCのファイアーエムブレムも平行プレイしてるけど最近はこっちのが楽しくなってきてプレイ時間が増えてきてる。このへんは「ストーリーもの」のマンガは一気に読みたいけど「一話完結もの」はのんびり読み進みたいと思う心境に似ている。
よくゲームプレイ時間の表示を見て、「あー、この時間バイトに使ってれば〜万円になったよー」なんて言う人がいる。これはひどく間違った考え方で、遊びとは本来「ムダ」であることが前提で成り立っていると思う。お金がからめばそれは義務であり責任だ。「仕事が趣味」なんて人はいるけど「仕事が遊び」はほとんどいない。いたとしても、全く責任も義務もない立場でのお金儲けなのだろう。
責任というプレッシャーから解放された瞬間を得るために遊びが存在するのだろう。そんな「遊び」を仕事として選ぶことは不幸であるとも言われる所以はこんなところにあるのだろう。

ポンコツ浪漫大活劇バンピートロット

arfy2005-07-14


ようやくお受験も終わり、何かに追われる生活は終わりを告げたのでした。というわけで、ゲーム三昧!人生は何のためにあるのか?酒とゲームと寝るためだ!ゲーム脳
新作ソフトなんて買ったの何年ぶりだろうなー。続編タイトルならそこそこあるけど、完全新作ってなるともう思い出すことができないくらい久しぶり。
時はバーチャル産業革命期、ロボット、バンド。この世界観だけでもう完全やられてしまう。まだまだ序盤だけど本当にまったりとしたゲームだ。時間が穏やかに流れていて、横道にそれる要素がたっぷりあるからのんびりと楽しめる。ビリヤードやったり、楽器の演奏(ビートマニア風)やったり、ロボット乗って格闘場行ったり、お部屋のコーディネートやったりでストーリーを追うのがもったいなくなってしまう。
最近のソフトはやれることが本当に増えたねえ。ファミコン時代のシンプルさが好きという人は多いけど、やっぱりこのごちゃごちゃ入った福袋な感じが僕は好きなのだなあと思う。貧乏性と言ってしまえばそれまでだけど。
今のトコ、欠点はロードの多さ。ボリューム的に仕方ないのはわかるけど、それならせめてハードディスク対応にしてくれ…。技術があるのに、コピー対策とかで一般人が割りを食うのはやはりいただけない。

どこまでやんだよ…。

警察庁、ネット上の自殺予告に対してISPに情報開示求める提案
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2005/04/21/7383.html

そこで、同会議ではインターネット上に自殺の決行、集団自殺の呼びかけ、対象が不確定な殺人予告などの書き込みに対する報告があった場合、照会文書によってISPに身分照会を行なう手続きをまとめた。具体的には、身分照会の対象となる事例を類型化したほか、身分照会時に提出する文書を統一化することを決定した。警察庁では今後、法制度化を含めて検討するとしている。

殺人予告はまあ良いでしょう。それにしたってどこまでを冗談とするか、どこまでを捜査対象にするかに問題がある。「ころすょ(はぁと」みたいなのだって、殺人予告と言えなくもない。それが派生していけば、ブラックユーモアの類は全て捜査対象になってしまう世の中だってありえないハナシではない。
ていうか自殺予告まで取り締まるのはやりすぎでしょう。「自殺扶助」に関しては法律上違法なのかもしれないけど、(これにしたって個人的には何故違法になるのかと思うのに。)個人が勝手に死ぬのは自由でしょう。
「ネットに自殺予告するのは行きたいって気持ちの裏返し」とか「直前に突き止めたおかげで自殺を止められた」みたいな美談もわからなくはないし、それで救われた(精神的にも肉体的にもね)人も大勢いるのだろうけど、そうでない人もまた多いハズだ。自殺を止めたって根本的な解決にはならないわけで、じゃあその人を文字通り「救う」ほどの気合を込めて自殺を止めるのかというと、「ただ自殺止めるだけ」もしくは「セーフティで自分が被害をこうむらない範囲内での救済」。そのくせ、止めた人ってどこか英雄気取りな書き込みが多かった。
「死ぬなら黙って死ね」それもわかる気がする。でも、最期の自己主張も許されなくなるのかと思うとそれは寂しい。
もう「心臓さえ動いてればOK!」的な発想はそろそろ変えていかなきゃならないと思う。体中に管通されて病院のベッドで寝かされ続ける老人とか、それで幸せなハズないもの。それで仮に奇跡的に一命取り留めたって、そんな状態になってまで成し遂げたいことがまだ残ってる人なんて何人いるんだ?牙を失えば他の存在に即座に喰われるライオン、霞のかかったような意識でも無理矢理心臓だけは動かされる人間。どちらが不幸かなんてちょっと考えればわかるものなのに。
自殺したい の検索結果のうち 日本語のページ 約 14,400 件中 1 - 50 件目 (0.40 秒)
うん。とりあえず、15000人ほどの情報は抜かれるわけだ。

そろそろ新しいハードディスクの時期かなあ…。

コレクターっていう人種は今にはじまったものじゃない。ヲタクだとかマニアって言葉が出来たのは最近だろうけど、この手の人は人類が生まれた時から存在してると思う。
その中でも「高尚」とされているのが書物の収集家。図書館なんかの走りも間違いなく「本ヲタ」だったと思う。今では公共機関なのだから書物ヲタの地位はとんでもなく高いところにあるわけだ。
書籍コレクターの心理はよくわからないけれど、おそらく「その知識が必要になった時手元にあった方が良い」というものだと思う。自分が必要な知識、読み終えた本を並べたって、その量はたかがしれている。本だけ読んで生きている人はいないのだし(長い歴史の中にはごく少数ならいたかもしれないけれど)、知識は何かを為すために使う道具のようなものだから、やはり主と従の関係でいえば従の方に分類されると思う。
つまり、「今の段階では役に立たないもの」を大量に所持するのが収集家なんだから、やっぱり昔は圧倒的に少数派だったはずだ。でも、パソコンがこれだけ普及すると「プチコレクター」がわんさか出てくる。きっとそうなるハズだ。
現代の世の中ってのはとにかく消費が美徳になる。資本主義自体がとにかく大量に作って大量に消費してくんなきゃ困るわけで、もはや一つの強迫観念みたいなもんだ。「何人の女とヤった」なんてのが美徳なんだから、こりゃ昔の人が聞いたら腰抜かすぞってなもんだ。
パソコン整理をした。大量のエロ動画が出てきた。これって人数に直すと何人の人生を切り取ったもんがこのパソコン中入ってんだ?って思ったらちょっと変な気持ちになった。人生のおそらくピークに近い時期ばかりを切り取ったもんが、それこそ星の数ほど詰まってんだなあ。そこにはその人数だけの、人生だとか思いみたいなもんがあるのに、こちらは「記号」としての消費をするだけ。普段意識しないけど、これってちょっと考えてみたらとんでもないことだぞと思った。
ituneのライブラリを見た。5000曲くらいか。まあディープな人に比べれば雀の涙だけど、それでもおぞましいほどの量だと思う。
こいつはちょっと別の視点も意識しなきゃなんないなあと思った。そのおぞましい量のアダルト動画が最初に手に入れて、文字通り擦り切れるほど見たアダルトビデオ一本に勝てるか?その5000曲が、当時月のおこづかいが1000円の時に初めて買ったミスチルの3000円もしたアルバムCDに勝てるのか?
大量生産大量消費の時代を見直そうという時代が来ている。まあ資源自体は有限だから、循環型社会に移行してこうってのは的を得てると思う。ただ、その一方、「知」に関しては加速度的に大量生産大量消費に移行していくだろう。昔は文字を書くのなんて特別な仕事をしてる人だけだったのに、ネット環境さえあればブログで誰でも世界に向けたコメンテーターってわけだ。誰もが表現者になるってことは、本当に飛躍的に飛び交う情報量が増えるってことだ。厳密な意味で著作権を完全に守っている人なんてのは、もはや存在しなくなるだろう。
資源と違って、情報は無限だ。そこに人がいれば発生するものなのだから。ただ、それならいいやいいやで右から左に流していくのはちょっとおかしなことになってしまうような気がする。かといって、「一本のAVを一年間見続ける」なんて時代にはちょっと戻れない。どのへんのトコで折り合いつけるかが難しいところだ。

言葉なんて生き物だろ

「極道」先生…意味が違う 都内中学の国語教諭 厳重注意
http://news.goo.ne.jp/news/sankei/shakai/20050407/m20050407018.html

東京都大田区立の中学校で昨年度、三年生の学級担任教諭が教室に「極道」と書いた学級スローガンの横断幕を掲げていたことが六日、明らかになった。教諭は四十歳代で国語担当。個人的な信条の「道をきわめる」という意味で掲げていたというが、辞書によると「極道」は「悪事をすること」などの意味。保護者から「おかしい」と指摘があり、学校側は「教育上、妥当性を欠く」として撤去し、区教委は教諭を厳重注意処分とした。

こんなんで、厳重注意受けなきゃなんないなんてつくづく住みにくい世の中だとつくづく思う。言葉に新しい解釈を加えることで、その言葉が本来の意味として定着する例なんていくつもある。例えば「確信犯」。まあこの単語なんかは相当ネットではネタにされてるからわかるけど、本来の意味を知らないまま使っている言葉なんてきっといくつもあるはずだ。
本来の意味での「極道」を学級のスローガンとするなら確かに問題だ。でも、別解釈の言葉としてなら至極まっとうなスローガンだと思う。「本来の美しい言葉を壊してはいけない」。年寄りだったり、頭の固い人ほどこの言葉を言う。ら抜き言葉とかね。僕に言わせりゃ、そういう人は古典で習ったような言葉使えよと思う。
言葉は生き物だ。そして、それは「道具としての」生き物だ。言葉は人がいて初めて意味を成す。人がいなければただの記号のハズだ。道具の使い方は人が決めればいい。そして、道具を使うのは「生きている」人だ。形式だとか伝統だけに固執する「死んでいる」人が使うものではない。
言葉の語感でイメージが形作られるというのはわかる。みうらじゅんが「暴走族」を「珍走団」と呼ぼうと言い出したのは目から鱗の思いをした記憶がある。極道という言葉に肯定的な意味を与えるのはどうかという考えもわかる。ただ、影響力がある人が言い出したわけではなく、あくまでミクロな世界での造語にまで目くじらを立てるのはなんとも大人げないというか視野が狭いというか。

ダンパ。

ダンスパーティ、略してダンパに友人に誘われて参加。
しかも、普通のヤツじゃない。アニメコスプレダンパだ。どういうものなんかを一言で言うと「コスプレしつつアニソンで踊りまくろうぜ!」的なもの。
僕はその昔、クラブへ踊りにいったことがあるけれどそれのコスプレアニソン版だった。当時行ったところは、ギャルやギャル男ばっかだったけど、ヲタだって同じことしたい!ってトコだろうか。
そもそも、当方パラパラ系の踊りっていうかステップみたいなものも含めて全然知らない。ネタで踊り方の動画を見たことはあるけど「あんなんできっこねえ!」と思ってさくっと削除した記憶しかない。それにコスプレなんてしたことないし、当然衣装もないし。それでも、「全然大丈夫だから!コスしてない人もたくさんいるから!」といわれて、そんなもんかと思って参加。
ぐっ…、コスプレしてない人なんかいねえじゃねえか…。いるにはいるけど、そういう人は一見して「レイヤーの撮影目的」の人。つーかカメコ。当然写真をかしゃかしゃ撮ってるだけで、ダンスフロアになんか来やしねえ。そりゃそうだ。目的がはっきりと分かれているもの。相方はさっさと一人だけコスプレ衣装に着替えて写真撮り撮られの旅にいっちゃうし。どうしろってんだ…。
周りにはザフトの制服やら、NARUTO忍者やら、もろもろのギャルゲの制服やらで、髪の毛も赤青黄色(ズラですが)と完全に異国に一人取り残された異邦人状態!ええい!やってられっか!もうこうなったら、一人でテンション上げきるしかねえ!
とはいえ、ダンス経験ゼロの俺。まずは、お立ち台で踊ってる人を見真似でちょっとずつ覚える。なるほど、パラパラは廃れたのかと思ったけどやはり基本は腕だけのダンスなのか。足はステップくらいで良いみたい。ある程度の基本の振りがありつつ、アレンジを加えるものらしい。テニプリの曲とかにはちゃんとサーブ打つような振りが入っていた。
魔法戦隊マジレンジャーがかかったあたりから、テンションが上がりまくってきて踊りまくる。うむ。見事に周りは全員レイヤーな上に踊りも上手な人が多い。っていうかなんで皆曲ごとの振りを全部覚えているのですか?浮きまくっているが、知ったことではないわ!
曲だけはKOTOKOとか玉置成実とかギャラクシーエンジェルとか、もうそれ系のばっかでわかりやすい。DJまでヲタ風の見た目というのも受ける。
感想としては、とにかく「ヲタとギャルの世界は相容れない」という偏見が崩れたこと。スクランの制服来て踊りまくってるお姉ちゃんとか目茶目茶上手に踊ってて、振りも完璧に覚えているんだもん。前行ったクラブイベントでもあそこまでちゃんと踊れてる人はほとんどいなかったぞ…。ヲタといえば、引っ込み思案で派手な場所には立てないというのが相場だったのに、最近は崩れてきているというか色んなタイプの人が増えてきているのかもしれない。
あとは、クラブと比べると見た目の派手さはやはりこっちのが上。コスプレっていうかもはや「仮装ダンスパーティー」なんだよね。クラブだと同じような人がとにかくわんさかいるから、ある意味「無個性の集団」。目立ちたくて髪を金髪にしたり、派手な服装したりしているのにそういう人ばっかになるとどうしても没個性になってしまう。その点、コスプレの人はさすがに生活を崩すくらい入れ込んでいる人もいるくらいあるだけあって、もはや異国を通り越して別次元の破壊力。歌ごとに、お立ち台の人が入れ替わるのも良いね。SEEDの曲が流れたとたんザフト制服ばっかりわらわらとお立ち台に集まってきたり。
まあそんなこんなで、一人私服で踊りまくってきましたとさ。アレだけぶっ飛んだ集団ん中に一人私服だと逆に目立ちまくるね。テンションでごまかしきるために踊りまくったせいで筋肉痛がキツイ…。運動自体久々だからなあ…。というわけで、メイド喫茶以来の「悪ふざけ空間」突撃企画。次はどこかな〜。